神社に行くときの、心の在り方

スピリチュアルライフ

神社に行くときの 心の在り方 とは?

神社に行く理由は、人それぞれです。
お願いごとがあるとき。
節目のとき。
ただ、なぜか足が向いたとき。

場に入ったとき、起きること

境内に入ると、
空気がすっと変わる瞬間があります。

そして、
私たちのほうも自然に変わっていきます。

言葉数が減ったり、
声が小さくなったり。

歩く速さがゆっくりになって、
呼吸が深くなる。

背中が、少しだけ正される。

それは、
「正しくいよう」と思ったからではなく、
そう在りたくなる空気に
触れているからかもしれません。

何かを得るより、整っていく

神社は、
何かを得る場所というより、
振る舞いが静かに整っていく場所。

誰かに見せるためでもなく、
評価されるためでもなく、
褒められるためでもない。

ただ、
余計な動機が
少しずつ抜けていく。

お願いをしてもいいし、
しなくてもいい。
言葉があっても、
なくてもいい。

その場にいるあいだ、
少しだけ
自分の内側の雑音が減っていく。

「こう在りたい」という感覚

「こうあるべき」よりも先に、
「こう在りたい」という感覚に
触れることもあったり。

それは、
力が抜けていくような時間であり、

ほどけていく感覚に
近いのかもしれません。

その感覚に触れているとき、
何かを強く願わなくても、
自分が大切にしたいものの輪郭が
自然と見えてくることがあります。

それは、
「足りない」よりも先に、
「すでに在る」という感覚に
戻っている時間なのかもしれません。

良くなろうとしなくても、
善く見せようとしなくても。

ただ、
雑音の少ない状態に
身を置く。

そして、そういう時間を重ねていくうちに、
気づかないところで、
人との距離や、
言葉の選び方、
日常の振る舞いが
静かに変わっていることもあります。

神社という神域は、
そんな在り方を
思い出させてくれる場所のように思います。

そして、帰る頃、

来たときより、
少しだけ
安定した自分でいることに
気づくこともあります。

ひと月の区切りとして、
朔日参りという風習についても
触れています。
朔日参りはひとつの区切り