虹を見て、ふっと心が明るくなるとき
雨上がりに虹を見つけたとき、
理由はわからないけれど、
ふっと気持ちが明るくなることがあります。
それは、
子どもの頃だけでなく、
大人になってからも。
子どもの頃の無邪気さは、
いつの間にか
ずいぶん薄れているはずなのに。
不思議ですよね。
虹を見た瞬間の、
説明できない「うれしさ」。
もしかしたら、
その感覚に気づくこと自体が、
本来の自分につながる
小さな瞬間なのかもしれません。
「なんだか嬉しい」
「少し元気が出た」
「いい流れの中にいる気がする」
虹そのものが
何かを“起こしている”というよりも、
それを見たときに動く
自分の内側の感覚が、
静かに現実の向きを
変えているのかもしれません。
でも、
同じ虹を見ても、
心が動かないときもあります。
それはそれで、
理由を探さなくていい。
ただ、
そういうときもある、というだけ。
心が動く瞬間は、
意図してつくるものではなく、
自然に起こるものだから。
起きるときは起きる。
起きないときは起きない。
最近、
奇跡や変化について考える中で、
それは外から与えられるものではなく、
自分の内側で
静かに起こるものなのかもしれない、
と感じるようになりました。
何かを強く願わなくても、
無理に意味づけをしなくてもいい。
ただ、
虹を見て
「少し明るくなった」
その感覚を、
そのまま大切にしてみる。
それは、
大河の一滴のような、
とても小さなものかもしれません。
でも、そこから、
現実の受け取り方が、
ほんのわずか、
変わっていくのかもしれません。
帰り道で虹に出会うとき
パワースポットや神社を訪れた帰り道。
ふと空を見上げて、
虹に気づくことがあります。
それを見て、
「何か意味があるのかな」
そんな気持ちが浮かぶ人も
いるかもしれません。
一般的に、虹は
幸運や希望、調和の象徴として
語られることが多いものです。
だからこそ、
願いや祈りを胸に置いたあとに
虹を見かけたとき、
私はこんなふうに受け取ります。
「その思い、受け取りましたよ」
「今の道を、そのまま歩いてもいい」
それは、
外から与えられる答えというよりも、
自分の内側にある
安心や納得の感覚が、
そっとかたちになったもの
なのかもしれません。
もちろん、
虹を見たからといって、
何かを信じなければいけないわけでも、
前向きにならなければいけないわけでもありません。
ただ、
もしその瞬間、
「少し安心した」
「大丈夫な気がした」
そんな感覚が生まれたなら
それは、
今の自分が持っている
希望のかたちなのだと思います。
帰り道で次、虹を見かけたとき。
意味を探さなくてもいい。
受け取らなくてもいい。
ただ、
心に浮かんだ感覚を、
そのままに。
それだけでいいのかもしれません。

この感覚は、
偶然のように見える出来事に
ふと意味を感じる瞬間とも、
少し似ているのかもしれません。
▶偶然のように見える出来事に、ふと意味を感じる瞬間


