日光二荒山神社は必要なご縁を結んでくださる最強パワースポット
栃木県の一之宮である日光二荒山神社。日光連山に広がる神域の敷地面積は、伊勢神宮に次いで日本でも屈指の広さを誇ります。日光東照宮の隣にあり、その奥には日光山輪王寺も控えています。この「二社一寺」は、世界遺産として知られ、多くの観光客が訪れますが、単なる観光地ではなく、必要なご縁を結んでくださる最強のパワースポットです。招福や縁結びの神様として知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)様をお祀りし、訪れる人々にさまざまな縁を結んでくれるこの神社は、私の地元であり、とって特別な存在です。
全国各地にある「一之宮」と呼ばれる神社は、その地域を守護し、支えてくださる大切な存在です。これらの神社は、その土地に根付いた歴史と信仰を象徴し、地域の人々にとって特別な意味を持っています。
一之宮は、その土地の繁栄や平和を願うために、古くから多くの人々が参拝してきた場所です。地元の一之宮を大切にすることは、地域全体の発展や安寧を願う行為といえます。訪れる際には、土地を守ってくださる神様に感謝の気持ちを持ち、地域や自分自身の生活の安定を祈るとよいでしょう。
ご祭神とそのご利益「縁結び」
日光二荒山神社のご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)様です。この神様は、出雲大社の主祭神大国主命(おおくにぬしのみこと)様の若いころの呼び名であり、「だいこく様」としても親しまれており、招福や縁結びの神様として、多くの方が訪れる理由の一つです。「ご縁」といっても、男女の縁だけでなく、仕事や友人関係など、その人にとって必要な縁を結んでくださいます。具体的な願いをしっかりと心に描き、祈ると良い結果が得られると言われています。
ちなみに、だいこく様は、「大国様」と書き、七福神の大黒天様とは別の神様になるそうです。
また、奥様の田心姫命(たごりひめのみこと)様は、子授けや安産、子育ての守護神として、家庭円満のご利益も授けてくださいます。お二人のお子様である味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)様は、農業の神様であり、雷神としても知られています。栃木県に雷が多いのは、この神様との縁が深いからかもしれません。
ご祭神が親子の神様なので、親子杉や夫婦杉も祀られて入れ、家庭円満のご利益も充分頂けます。世界の平和は、まず家庭から…😆
神様の散歩道「上新道」
もし、日光を訪れる機会があれば、ぜひこの「神様の散歩道」を歩いてみてください。日光二荒山神社で感じられるエネルギーは、あなたの内側を整え、新たな一歩を踏み出す力を与えてくれるかもしれません。
日光東照宮から日光二荒山神社を繋ぐ道、「上新道(かみしんち)」は、別名「神様の散歩道」と呼ばれる神聖な場所です。この道を歩くことで、特別なパワーを得られると言われています。私自身もこの道を歩くたびに、心身が清められるような感覚を覚えます。
スピリチュアルな旅の始まり
私は栃木に生まれ育ち、30代後半まで神社仏閣にはほとんど興味がありませんでした。しかし、ある日、友人が「日光の二荒山神社ってすごいらしいよ」と話してくれたのをきっかけに、初めてこの神社を訪れました。振り返ると、その時から少しずつ私の人生が変わり始めたように思います。
以前の私は、頭と心が分離していて、体や心が送るサインを無視し、感じないようにしていました。自分のことをわかっているようで、実はわかっていないことも多いのかもしれません。
しかし、神社を訪れるうちに、自然と自分と向き合わざるを得ない状況が増え、人生の軌道修正のような出来事が次々と起こりました。参拝するたびに、気持ちや体が軽くなるのを感じるようになり、何かあるたびに足を運ぶようになりました。最初は重たいエネルギーを手放すために神社仏閣を巡っていましたが、次第に「氣」の流れを整えることの大切さに気づきました。
自分の内側が整うと、不思議なことに、周囲の環境が変わっていないのに物事の見え方が変わり、不安やイライラ、恐れといった感情が和らいでいきました。外の世界は自分の内側の投影だと理解するようになりました。見えないエネルギーの存在を知り、そのエネルギー(氣)を整えることの重要性を学ぶ中で、ヒーリングの手法を学び、今の仕事にも繋がっています。
ここでひとつ注意点があります
神社参拝が神頼みにならないということに注意を払わなければなりません。あなたの人生を創造しているのは神様ではなく、あなた自身です。この本質を見失うと、出来事の解釈がズレ始めてしまう恐れがあります。神社参拝を通じて、心を開き、本来の自分に繋がり、自分の人生を思うように創造していきましょう。
辛いこと、悲しいこと、嫌なこと、納得できないこと…そういった感情をいつまでも抱えていると、人生が開けません。外側の世界は自分の内側の投影だということを、もっと早く知りたかったです😆
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