朔日参りは、ひとつの区切り

日光二荒山神社

昔の人たちは、
月の巡りとともに暮らしていました。

新しい月の始まりに、
ここまで無事に過ごせたことへ、
静かに手を合わせる。

朔日参り(ついたちまいり)は、
そんな感覚から生まれた風習なのだそうです。

何かをお願いするためというより、
ひと月を終え、
また始めるための区切りとして。

新しい月のはじまりに、立ち止まる

月が変わるというだけで、
生活が大きく変わるわけではありません。

それでも、
「一日」という節目に立つと、
少しだけ立ち止まれることがあります。

先月は、どんな月だったか。
今月は、どんな在り方でいたいか。

答えを出さなくてもいい。
ただ、振り返る。

願うよりも、戻る

朔日参りでは、
何を願うかよりも先に、
今の自分の立ち位置
ふと気づく時間であったりもします。

「こうなりたい」よりも、
「こう在りたい」。

その感覚に触れているとき、
無理に願いを言葉にしなくても、
自分が大切にしたいものの輪郭が
自然と見えてくることがあります。

朔日参りは、習慣というより区切りとして

朔日参りは、
毎月必ず行かなければならない、
というよりも、

自分にとって
必要なときに立ち戻るための
ひとつの目印のように感じています。

「一日だから行かなければ」
そんなふうに、
自分を追い立てるものには
ならなくていいとも思います。

今の自分に戻る、その延長で

人生は、
思考や行動によって
形づくられていく部分もあります。

思い通りにならないことがあっても、
その中で
自分が何を大切にしたいのかに
ふと気づく瞬間があります。

神社で手を合わせる時間は、
何かを変えるためというより、
自分の内側にある望みに
静かに触れるきっかけになることもあります。

はっきりとした意志や
強い決意がなくても、
ただ、
今の自分に戻る。

その延長線上で、
気づいたら
どこか前に進んでいることもあります。

神社に足を運ぶときの、
心の在り方については、
こちらのページに綴っています。
神社に行く時の、こころの在り方