ジャッジをやめる。良し悪しなんて結局はわからないもの

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私たちは無意識のうちに日常の出来事を「正しい」「間違っている」とジャッジしてしまいがちです。長い間、私たちは無意識に物事を判断するという思考の癖を身につけてきました。この癖にまず気づき、意識的に判断を手放してみると、少しずつ見える世界が変わり始めます。

良し悪しをジャッジしない生き方のススメ

特に心が疲れやすい場合、自分自身や他人、または出来事に対して「正しい」「間違っている」「良い」「悪い」と絶えず判断していることに心当たりはありませんか?

情報過多気味な現代社会では、私たちは日常的に無意識のうちに「正しい」「間違っている」「良い」「悪い」と物事を判断してしまうことが多く、脳疲労にも繋がっています。

そして、こうしたジャッジメントが、知らず知らずのうちに心の負担となり、気持ちをさらに重くしていることがあります。

特に、こうした判断がネガティブ判断だったり、誤解に基づいている場合、どんどんトラウマや心の傷を増やしてしまう可能性もありますので注意が必要です…

ジャッジが引き起こすストレス

私たちの日常生活では、大小さまざまな出来事に対して「良い」「悪い」と判断を下しています。例えば、仕事でのミスを「自分の能力不足」と捉えることや、友人の言動を「許せない💢」と感じることなどが挙げられます。こうしたジャッジメントから感情を引きずることで、長期的には以下のようなストレスを引き起こします。

  • 自己評価の低下: 自分を過度に批判することで、自己肯定感が低下し、自己価値を見失うことがあります。
  • 他人との摩擦: 他人を「良くない」と判断することで、人間関係に亀裂が生じることがあります。
  • 感情の揺れ: ポジティブな出来事でもネガティブな視点で捉えることで、感情が不安定になります。

経験というフィルターが生む異なる現実

私たちが物事をどう捉えるかは、人それぞれに視点が違いその解釈や受け止め方も自分の経験や状況によって大きく左右されます。たとえば、同じリンゴを見ても、ある人はその形に注目し、別の人は色に目を向け、また別の人は味を想像します。つまり、同じリンゴをみたとしても、それぞれに視点をおく場所が全く異なり、そこからの発想やイメージもひとそれぞれ違うという現象が起きています。

また、誰かに言われた言葉や行動も、受け取り手次第でその意味が変わることがあります。心に痛みを抱えている場合、相手に悪意がなくても「傷つけられた」と感じてしまうこともあります。

私たちは各々、自分の過去の経験をフィルターとして物事を見ています。ですので、同じ出来事を体験しても、人それぞれ感じ方や解釈が異なるのです。

このように、出来事自体には「良い」や「悪い」といった絶対的な価値はなく、私たちがそれをどうジャッジするかでその意味が決まります。物事は本質的に「正しい」や「間違っている」といった価値を持っているわけではなく、それをどう見るかは私たちの視点次第で変わります。

エピソード例

  1. 失敗が成長のチャンスになる
    あるプロジェクトが失敗したとき、最初は「自分のミスだ」と落ち込むかもしれません。しかし、その経験から学び、次のプロジェクトで大きな成功を収めることもあります。最初の失敗は「悪いこと」とジャッジするのではなく、成長の機会と捉えれば、気持ちが軽くなります。
  2. 雨の良し悪し
    道を歩いているときに雨が降ると、一般的には「嫌だな」と感じることが多いですが、その雨のおかげで食物や植物が育ち、私たちの生活が豊かになります。雨は「良い」でも「悪い」でもなく、ただ状況に応じて感じ方が変わるだけなのです。
  3. 同僚の指摘
    同僚から「仕事が遅いね」と言われた場合、それを「自分はダメだ」とジャッジしてしまうと落ち込むことになります。しかし、その言葉がきっかけで「もっと効率的な方法を探してみよう」と前向きに変わることもできます。相手の言葉を批判と捉えず、学びの機会として受け取ることで、得られるものが増えていくのです。

ジャッジを手放し、フラットに物事をみる習慣をつける

心が疲れやすいことを辿っていくと、結局は、自分の感情に振り回されている所に行きつきます。

そんな時には、何かが「正しい」か「間違っている」かを判断するのではなく、まずはその出来事によって自分がどんな感情を抱いたのかに目を向け、丁寧に向き合うことが大切です。感情を認めてあげることで、次第に心が穏やかになり、より自由な自分を取り戻せるはずです。

ジャッジを手放すことで見える新しい視点

その上、ある出来事が「良いこと」か「悪いこと」かを即座に判断することは非常に難しく、その結果がどう未来に繋がっていくかは、現時点では分かりません。

諺「人間万事塞翁が馬」

この言葉は、中国の古い故事成語で、人生の出来事が一見良いことも悪いことも、実際にはどちらとも限らず、変化し続けるものであるという考え方を表しています。

このことわざの基になった中国の「老人と馬」のエピソード

ある老人の馬が逃げてしまいました。周囲の人々はこれを「禍(よろこばしくない事)」と考えました。しかし、数日後、その馬が駿馬を連れて帰ってきました。人々はこれを「福(幸運)」だと喜びました。しかし、翌日、老人の息子がその駿馬に乗り落馬して骨折してしまいました。人々は再び「禍」だと嘆きました。しかし、この骨折のおかげで、息子は戦争に行かずに済み、命が助かったのです。再び「福」となったのです。

このエピソードは、物事の「良し悪し」はその瞬間だけでは判断できず、時間が経過するにつれ結果が変わることもあることを示しています。そして、人生の幸不幸もまた常に変化している…だからこそ、出来事を即座にジャッジするのではなく、ただありのままに受け入れていくことが大切であり、その出来事に一喜一憂するのではなく何事にも動じない自分を目指したいところです。

感情に振り回されない生き方

ジャッジ メントを手放すことで、感情の波が穏やかになり、精神的な安定を得ることができます。以下のポイントを意識することで、感情に振り回されない生き方を実現しましょう。

1. ありのままを受け入れる

物事を「良い」「悪い」と判断する代わりに、現実をそのまま受け入れることが大切です。例えば、雨が降ってきたときに「雨は嫌だ」と感じるのではなく、「雨が降っている」という事実を受け入れることで、感情の揺れを減らすことができます。

2. 観察する視点を持つ

自分や他人の行動を客観的に観察することで、感情に流されずに状況を理解することができます。例えば、同僚が冷たく接してきたと感じたとき、「なぜそんな態度をとるのか?」「なぜそう感じるのか」を観察し、相手の立場や自分の受け取り方のその背景を考えることで、気づきが起きるかもしれません。

一喜一憂しない自分を目指す

日常の出来事に一喜一憂するのではなく、どんなことにも動じない心を持つことが、精神的な安定をもたらします。今、辛いことや不運に思える出来事も、将来的には何か素晴らしい結果に繋がる可能性があります。逆に、今幸運だと感じていることが、後々別の形で挑戦をもたらすこともあります。

このようにして、私たちが自分の人生に起こる出来事に対して過剰に反応せず、ただありのままに受け入れ、その結果を静かに見守ることができるようになると、心は次第に穏やかになり、揺れ動くことが少なくなっていきます。

一喜一憂しない心の持ち方

日々の出来事に対して一喜一憂せず、安定した心を保つことは、精神的な健康に大きく関わります。以下の方法を取り入れることで、安定した心を育てることができます。

1. マインドフルネスを実践する

マインドフルネスは、現在の瞬間に意識を集中させる瞑想法です。これにより、過去の後悔や未来の不安から解放され、今この瞬間をありのままに受け入れることができます。

2. 感謝の気持ちを持つ

毎日の小さな出来事に感謝する習慣を持つことで、ポジティブな視点を養い、ネガティブな判断を減らすことができます。例えば、朝起きたことや、美味しい食事を摂れたことに感謝することで、心が穏やかになります。

3. 柔軟な思考を持つ

固定された見方にとらわれず、柔軟な思考を持つことで、さまざまな状況に対応できるようになります。異なる視点から物事を考える練習をすることで、感情に振り回されることが減ります。

まとめ

人生における出来事は、必ずしも「良い」や「悪い」で「正解」「不正解」など判断できるものではありません。ジャッジメントを手放し、ありのままの状況を受け入れることで、私たちは精神的に自由になり、心の平和を手に入れることができるでしょう。現実をそのまま受け入れることで、私たちはより穏やかに、そして安定した心で日々を過ごすことができるようになります。

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